ONE FOR HALL TOUR 2015 ~私の集めた風景印~

 

 皆さん、こんにちは。今日は、私が今年の上半期に旅行していた場所、そして旅行中に趣味として集めた郵便局の風景印について、皆さんに語りたいと思います。
 まず、「ONE FOR HALL TOUR 2015」という旅の名前の由来を説明しておきたいと思います。実は、「ONE FOR HALL TOUR 2015」はもともと、私の好きなアーティスト・ファンキー加藤の全国ホールツアーのタイトルで、今年の1月から7月にかけて日本全国各地で開催されました。この39ヶ所、44公演の長いツアーの中で、私は9公演を見に行き、ついでに各地で観光もしました。自分の旅行はほぼファンキー加藤のホールツアーに従って様々なところを訪ねたので、このタイトルを借りて名づけました。
 2月13日、私は東京から出発し、最初の目的地である福岡に行きました。あの日は天気がよかったので、飛行機で空を飛んでいる間に、きれいな景色が見られました。そして、今回のツアーで私にとっての1本目のライブも、もちろん楽しんでこられました。福岡県には、以前行ったことがありますので、山口県と広島県に観光に行くというのが本当の目的でした。この旅で一番印象に残ったのは、やっぱり海の上に立っている厳島神社の鳥居です。残念ながら、この旅では厳島神社が描かれた宮島郵便局の風景印しかもらえませんでした。でも、門司港とか、広島とか、普通の消印もいくつか集めました。
 次に行ったところは、東京に近い埼玉県の大宮です。今回は一人ぼっちで参戦しますので、ちょっと寂しい気がしましたが、ライブでは盛り上がりました。わざわざ大宮郵便局に行って風景印をもらいました。実は、このライブの会場である大宮ソニックシティを描いた風景印も欲しかったのですが、残念ながらその郵便局は今もうなくなってしまいました。
 4月に、2daysの大阪公演を迎え、私はもう一度関西に行くことができました。私と同じようにFUNKY MONKEY BABYSが好きな友達は大阪に2人いるので、今回はその2人と一緒に参戦しました。中国人と一緒に参戦するのは、これは初めてです。以前関西に来たときに行けなかった兵庫県や滋賀県の琵琶湖も、このライブを機に回ることができました。真っ白な姫路城の天守閣は、私の今まで見た日本の城の天守閣の中で、一番きれいなものだと思います。また、あのときはちょうど桜の満開を迎えた季節なので、京都にお花見にも行きました。美しい景色ばかりでした。大阪中央郵便局の風景印は梅の変形印で、とても特別です。京都中央郵便局の風景印は舞妓の後ろ姿が描かれており、とても京都らしいと思います。そのほかに、姫路郵便局や大津郵便局の風景印も集めることができました。
 続いて、東京から遠く離れた長崎に行きました。長崎公演に参戦すると決めたことには、特別な理由があります。それは、私が初めて日本に交換留学に来たときに、一年間暮らしていた場所は、まさに長崎県内にある佐世保市だからです。長崎県はすでに私の第二の故郷のような存在になっており、ここに旅行に来るということは「帰郷」の意味でもあります。思い出を思い浮かべながら、佐世保市を回った翌日、懐かしいシーサイドライナーで長崎市へ出発しました。ライブの前に、有名な眼鏡橋や日本の三大中華街の一つである新地中華街に寄りました。長崎のグルメといえば、やっぱり角煮まんとちゃんぽんです。美味しいという言葉しか出てこないくらい美味しいです!長崎県に留学した時に、長崎BABYSと呼ばれる多くのファンモンのファンに知り合い、自分も長崎BABYSの一人になりました。長崎公演がきっかけで、みんなはまた集まることができました。長崎で集めた風景印はこの3つあります。佐世保の九十九島やハウステンボスとか、長崎の出島とか、それぞれの代表的なスポットを表しています。
 時は5月へと移り、私は東北地方に初上陸し、宮城県に旅立ちました。これまでの遠征は、すべてライブのためだったと言ってもいいですが、今回だけは旅行が主な目的で、仙台公演への参戦はついででした。仙台市内では、仙台城跡や東北大学などのところを観光しました。松島で船に乗って、カモメに追われながら島々をめぐるという体験も初めてでした。ちなみに、仙台に行ったら、絶対牛たんを味わったほうがましです。これは超~うまいですよ!東日本大震災で被災された石巻市にも見学に行きました。この土地にいると、4年前の地震や津波の爪痕が今でも強く感じられます。このすべてを目にして、なぜか胸が痛くなりました。「がんばろう日本」「がんばろう東北」の本当の意味を初めて知りました。被災地は少しでも早く復興できるように願っています。この旅では、伊達政宗騎馬像を描いた風景印や、仙台駅舎を描いた風景印だけでなく、石巻中央一郵便局の風景印ももらいました。ここで特に紹介したいのは、この風景印です。実は、石巻市内のすべての郵便局では、仮面ライダーやロボコンなど、石ノ森章太郎のキャラクターを描いた風景印が使用しています。残念なことに、一部の郵便局は震災で休止になり、今の段階では、すべて集めることはできません。
 6つの旅を終えて、「ONE FOR HALL TOUR 2015」は東京都内に戻りました。まずは、ファンキー加藤の地元で開催された八王子公演です。これは東京都全域の地図です。「八王子純愛物語」というファンモンの歌が歌っているように、八王子市は東京都の西のはじっこに位置し、新宿から電車で行くには40分程度かかります。八王子市にある高尾山の山頂から眺めた東京都や富士山は絶景といっても過言ではありません。私は八王子に行くたび、必ずタワーレコード八王子店にファンモンのCDを聞きに行き、そして、宮城というラーメン屋さんにファンモン麺を食べに行きます。今回も例外ではありませんでした。八王子公演は、中国から旅行に来た友達と一緒に参戦しました。この人もファンモンの大ファンです。ライブ中には、珍しく集合写真を撮りました。そして、私たち2人はタオルを高くかざしたので、人群れの中でも、自分たちの姿をひと目で見つけました。顔ははっきり見えないですけど…。言うまでもなく、ここでもらった風景印は、八王子郵便局の風景印です。いちょうは八王子市の市の木です。
 八王子公演のあとは、NHKホールで行われたツアーの最終公演です。NHKホールは紅白歌合戦の会場だと知っていますが、実際に来るのは初めてでした。初日は大学時代の同級生を連れて行きました。ファンではないのですが、とても熱いライブだったと言ってくれました。最終日は、ツイッターで知り合った日本人の友達と参戦しました。隣にいた母親と娘2人は私が中国から来たと分かって声をかけてくれました。最終公演には、今回のツアーで使ったカトライトという光り物を全部持って行きました。これは私の参戦の証とも言えます。アンコールのとき、なんと、舞台の写真を撮らせるという今までやったことのないサプライズがありました。この瞬間を記憶だけでなく写真という形でも永遠に残せました。これは初日に撮った写真です。舞台をまるごと撮ることができました。最終日にいいレンズを持って行きましたので、舞台にいるファンキー加藤をクローズ・アップすることができました。これで、ファンキー加藤はソロデビューから初の全国ホールツアーを完走できました。最終的に9万人以上の人たちが会場に足を運びました。そして、私もそれとともに、長い旅の終止符を打ちました。この半年間、ファンキー加藤のツアーに従って日本各地をぐるっと回り、数多くの感動的な瞬間を様々な人たちと一緒に楽しみました。このすべてに感謝したいと思います。最後に集めた2つの風景印はこちらです。放送センターや国立代々木競技場を描いた風景印と、東京駅やジャパンタワーを描いた風景印です。
 今回の「ONE FOR HALL TOUR 2015」でこれだけの都道府県に自分の足あとを残しました。実は、私が今まで訪ねた都道府県を全部地図に表記すると、このようになっています。そして、今年の夏休みに、四国4県を回りに行く予定です。そうすると、私が旅行した都道府県の数は22個に達成します。もちろん、47都道府県を全制覇することは、究極的な目標です。皆さんもぜひ旅行を楽しんでください。ありがとうございました。

“归乡”——我的长崎回忆之行

  「ONE FOR HALL TOUR 2015」,这是ファンキー加藤从今年1月一直持续到7月的日本全国巡演的名称,同时也是我今年上半年跟随这一全国巡演行程而走的旅行的名称。我从这个一共有39个地方44场公演的全国巡演中挑选了几处,决定在参战的同时也在那个地方的周边旅行,其中有一站就是长崎。选择长崎的理由很简单——这是一个自己非常熟悉的地方。因为我第一次来日本留学的时候就是在长崎县,我也想借这个机会回到自己曾经生活过的地方看看。4月26日早上,我乘坐飞机从东京来到熊本空港,并在熊本进行了短暂的停留,前往之前来熊本县旅行的时候没有去过的天草,乘船在距离长崎也非常近的早崎海峡一带亲眼见到了野生的海豚。当晚连夜乘坐电车抵达佐世保,正式开启了我的“归乡”之行。
  一直都在很努力地学习中文的大谷さん算是我在佐世保认识的一位比较熟悉的日本人了。我这次刚到东京留学不久的时候他过来旅游,我们还一起去了趟东京迪士尼乐园。这次我难得回一次佐世保,肯定有想拉大谷さん出来一起吃一顿饭,只是他现在在豪斯登堡里的一家酒店工作,最近经常都要忙半夜才下班回家,好像也不是特别有时间的样子。
  好在我第一天晚上23点左右刚到佐世保的时候,大谷さん刚好也下班正从豪斯登堡那边回来,于是我们就在LINE上联系以后,约在四ヶ町的麦当劳见了一面,然后一聊就聊到了快要25点……说实话自己这次来东京留学,感觉一直活在中国人的圈子里,新结实的日本朋友几乎没有,所以真的已经好久没有像这样跟日本朋友聊天了。特别是回到长崎县,到处都能听到熟悉的长崎方言,还有很多认识的朋友把我当做当地人一样,很自然地就直接用长崎方言跟我讲话,这种感觉真的超赞!

  

  佐世保駅是我对日本的电车车站的第一印象,也是我最熟悉的车站之一,虽然它现在对我来说已经成为了过去式。第一个晚上刚刚抵达佐世保,从佐世保站二楼的站台下来,发现这一年半时间就像停止了一样,真的是一点变化也没有!当年在豪斯登堡打工,下班回家都要先坐电车到佐世保駅。这个晚上,我又试着按照当年经常走的路线走到了四ヶ町,事实证明这条路并不是那么轻易就能忘掉的。

  

  因为我当年在长崎县留学,住在距离自己所就读的长崎短期大学比较近的相浦地区,而这个地方距离佐世保的市中心真不算近,所以我也说不上是经常都能跑到佐世保的市中心来游荡。但是只要一来佐世保的市中心,就一定会跟这里最热闹的商店街四ヶ町打交道,这次回到佐世保也算是分别重新感受了一下四ヶ町的白天与夜晚。
  首先是夜晚,就跟日本其他的乡下地方一样,四ヶ町差不多过了傍晚就渐渐冷清下来,两边的店铺除了24小时营业的LAWSON、7-Eleven等便利店,以及麦当劳之外,基本上很早就会关店了。到了深夜,空荡荡的四ヶ町内时而能看到醉酒或者大声喧哗的年轻人,另外还有很多美国人会在这时候出没,这也算是体现了设有美军海军基地的佐世保的一大特点吧。
  与四ヶ町晚上的冷清成鲜明对比的就是白天的热闹,这次来到佐世保的第二天当然也有经过四ヶ町,看到这里的白天还是像曾经一样人来人往,两旁的商店似乎也没有太大变化,而我也如愿又一次吃上了岩石屋的美味的泡芙!此外,最近全日本都在进行市议员选举,待在佐世保的一天里,四ヶ町等比较繁华的地方到处都能看到各个候选人开着车、举着旗,用着高音喇叭拉票宣传,一早就在睡梦中听到那些声音的我真的觉得有点吵了……

  

  我在佐世保留学的后半年找到第二份打工,就是在四ヶ町附近的FamilyMart栄町店。我这次刚到佐世保的那个晚上,还特地在去住宿的酒店的路上拐去以前打工过的这家FamilyMart瞅了瞅,一进店里发现这里也是一点也没有变,甚至连当晚上夜班的那个人我还认识,好像叫做宮崎さん。不过我被安排跟他一起上班的次数并不多,总觉得都已经过了这么久了应该不会记得我,所以就没有好意思上去跟他打声招呼了。虽然我也不知道现在到底还有几个我认识的人在这里上班,不过顿时有种似乎只有我不在了的失落感。
  虽然乡下地方的便利店时给真的跟东京的没法比,但是我真的满感谢这家FamilyMart当年让我在他们那儿打工,从此让我第一次接触了与便利店相关的那些人与那些事,也与我这次来到东京留学,优先选择在FamilyMart打工也有一定的关系,这也又一次应证了自己所待过的地方,不论长短,或多或少都产生了一定的感情。

  

  这次待在长崎县的两天,为佐世保市与长崎市各分配了一天。对于佐世保这个再熟悉不过的城市,要去哪些地方早已心中有数。作为佐世保最有名的旅游景点豪斯登堡,我最初在制定行程安排的时候也是有打算去的,更何况自己当时还在里边打了一年的工。但是后来发现门票实在太贵,再加上比较期待的在冬天举办的「光の王国」已经结束了,而且我又对豪斯登堡里面的游乐设施没有太大兴趣,所以想想还是不进去了。最后我决定简单地在豪斯登堡的周边逛逛,然后再去一趟他们的免费区域「ハーバータウン」(港口城)。后来我在公交车站看到通知才知道,原来从4月30日开始,就连这个免费区域都要废止了,整个豪斯登堡全面收费化,看来我这次过来也算是赶上末班车了……
  早上我从佐世保駅坐9点25分出发前往豪斯登堡的电车,其实这也是我以前在豪斯登堡打工10点出勤时经常坐的一趟电车,一直都是9点44分抵达车站以后,一路小跑赶在10点之前到店里换好衣服刷好卡,正式开始上班。电车接近豪斯登堡的时候,又一次看到了下面这张照片里的这个熟悉的风景,我真的已经不记得过去在这个角度远望过多少次,拍了多少回豪斯登堡了。
  从豪斯登堡入口处到港町需要坐西肥公交车,单程车费是150日元。以前几乎每周末都会因为打工要来豪斯登堡,但是这个路线我还是头一次坐,因为以前从来都是用通行证免费出入,完全没有必要搞得像现在这个样子。我在这里比较想说的是,我对西肥公交车其实还满有感情的,在佐世保的一年里,路线公交车乘坐得比较多的是它,去福冈空港等地方走长途的时候也基本是选择它,所以再一次看到摆在前头的计价器的显示屏感到十分怀念。

  

  一进到豪斯登堡的免费区域「ハーバータウン」听到的果然是海贼王的主题曲,然后我走到码头附近的时候刚好看到了桑尼号的归港!因为自己也是一个海贼迷,到现在还能回想起自己第一次乘坐这艘桑尼号,远航在大村湾时激动的样子呢。大概豪斯登堡也是以这个为卖点,几年内吸引了不少海贼迷前来游玩。不过我听说这次日本的黄金周过后,桑尼号等海贼王相关的设施要从豪斯登堡撤出,移动到位于爱知县的主题乐园「ラグーナ蒲郡」去了。看来豪斯登堡这几年渐渐开始不依赖海贼王也能够盈利了,虽然在我眼里这里还是没什么特别好玩的东西……不过对于像我一样没有去过欧洲的人来说,能通过豪斯登堡里的建筑感受一下欧洲的风情,其实也满不错的,或许这就是豪斯登堡的卖点之一吧。
  最近豪斯登堡的「ゲームの王国」(游戏王国)主题活动中设置了一个游戏博物馆,里面除了有日本最新技术的VR体感游戏,还有80年代的那些令人怀念的游戏,可以说是能在里面同时感受到游戏的过去、现在与未来了。说实话我对这个还满有兴趣的,只可惜因为时间关系而没有办法进去看看了。另外,长崎短期大学在豪斯登堡里设置的教室也在「ハーバータウン」,于是我偷偷地越过了游客禁入的警戒线,到那个教室的外头看了看。以前在长崎短大学习的时候,选的课基本上都是在位于椎木町的本校区,不过我最初的时候也有特地跑来豪斯登堡里的这个教室上过一两次课。

  

  「ハーバータウン」往收费区域去的那个大门旁边有一家自行车租赁店「フィッツ」,我以前在豪斯登堡打工就是做这个的,不过我当时是在入国店,而这里是港町店,所以应该没有认识的人,倒是那个很可怕的老外好像还在这里工作的样子……看到摆在这里的四人乗り感觉特别怀念,只不过当时工作的内容要点已经忘得差不多了……其实我有想过,说不定可以从出国栋的员工入口偷偷溜进豪斯登堡的收费区域,然后到我以前打工过的入国店看看,因为那里只有内部人员知道,所以一般不会有人管。不过后来想想还是算了,我果然是胆小做不了偷鸡摸狗的事情的人啊……
  虽然这次没能去自己曾经打工过的店“偷窥”一下,不过也不算完全没有见到认识的人。因为我在刚抵达港町下公交车的时候,看到一辆豪斯登堡的出租车从面前开过,那个司机居然是中村さん!难道老头子现在除了修自行车以外,还干起出租车司机来了啊?或许也可能是岗位又进行了一定的调动,毕竟已经这么长时间过去了。说实话当时满想上去打声招呼的,但是人家正在工作中,而且我走路比不过人家开车,实在是找不到好的时机,这也算是一大遗憾了吧。

  

  待在佐世保的这天是个非常赞的大晴天,但是由于PM2.5的污染比较严重的关系,早上出门就注意到稍远的地方看起来就有点雾蒙蒙的感觉了,这么糟的视界都搞得我不知道跑去弓张岳眺望佐世保还有没有意义了。不过中午从豪斯登堡回来的时候感觉PM2.5的影响好像小了点,所以还是决定按照原计划上去一趟!
  佐世保的公交车还是像过去一样,乘坐之前要查询复杂的路线图以及不固定的时刻表。乡下地方电车不发达,公交车作为最方便的公共交通工具似乎也并不是那么方便。不过我这次回佐世保注意到,不论是西肥公交车还是市营公交车都给所有路线编了号,不管怎么说这也算是一个进步吧。西肥的路线公交车除了定期券之外,好像没有什么特别的优惠,不过佐世保的市营公交车有一个非常良心的一日乘车券,只要500日元就能整个线路免费乘坐一天,所以我不论是往返弓张岳,还是接下来去相浦地区都要有劳市营公交车的照顾了。

  

  记得我当年即将离开佐世保的时候,特地跑去弓张岳眺望了佐世保的风景。在弓张岳的展望台上,不仅能看到代表了人文的佐世保的市街地和港湾,还能看到代表了自然的九十九岛和爱宕山。听说晚上从这里看到的夜景也十分漂亮,到了春天,周边山上的樱花绽放,有非常多人来这里享受这美丽的景致。只可惜我没法自驾车,只是依赖公交车的话就只能看到普通白天的景色了,而且受到往返时刻表的限制,待在弓张岳展望台上的时间只有短短10分钟。即便如此,能够一览佐世保的全景已经让我感到很满足了。

  

  在弓张岳上看到的那个有大片大片的田地的地方,就是我曾经居住了一年的相浦地区,中午简单地解决了午餐便继续乘坐市营公交车朝那个方向进发了。这段“回家路”真的让我感到无比怀念,透过车窗看到的沿路景色自然不用多说了,就连一个个公交车站的名字都是那么熟悉,要知道我以前打完工从佐世保的市中心回来的时候,都是数着这些站名坐到下车为止的。
  这次坐上的公交车刚好是开往木宫町方向的,走的不是大路而是小路,会经过长崎短期大学的入口以及我当时住处所在地的母ヶ浦町。从佐世保的市中心往相浦地区开,窗外的风景果然是越来越乡下。下了公交车以后爬了一个小坡道,我终于来到了交换留学过一年的地方,长崎短期大学。其实我到现在都还记得自己第一次从住的地方沿路找到这里的情形,第一次在日本找人问路,第一次在日本被陌生人问早,而这些都已经是两年半以前的事情了。
  只可惜这次去的日子不太对,那天是个周六见不到任何一位教过我的老师。虽然学校没有上课,老师也没有上班,不过还是可以推开正门直接进去的。学校的大厅空荡荡的,连灯都没有打开,不过旁边的会议室里传出了声音,好像是有谁在里面开会。然后我经过食堂走到平时上课的那栋楼,推开第13教室,眼前的景象还是像自己在这里的时候一样,不知道当时一年间在这几间教室上过多少节课。第13教室主要是给中国留学生使用,所以大学祭的时候在后面的黑板上贴了毛笔字,只不过现在上面贴着的不再是富场老师写的《春晓》了。不知道现在老师们都过得怎样,学校都有怎样的变化,只是听说这里的中国留学生越来越少了,现在是以东南亚过来的留学生为主。

  

  从长崎短大出来以后,我又走了一遍曾经的放学路。我发现这条路现在已经有点杂草丛生的感觉了,应该不会是因为我不在以后,很长一段时间没有人走的缘故吧……没有错,我当年就是住在一个周围都是绿油油的田地,远处还能看到一座被我誉为“佐世保小富士”爱宕山的地方。离开的这一年半时间里,或许我已经有所改变,但是这片土地一直都没有变化,仿佛就这样一直在等着我回来。印象中自己还从来没有跟这里的田舍风景合过影呢,这次难得又一次回到这个熟悉的地方,果断不能再错过机会了!
  我当时所住的地方是在一条长长的坡道的最上面,再次与这条坡道相会的心情简直难以言表,看到路边的垃圾箱我还记得可燃垃圾的回收日是在火曜日跟金曜日呢!来到我以前住过的房间グランディルA-106号的面前,已经不能像过去一样,把自行车停在门口,然后掏出钥匙开门进去了。现在住在这里面的会是怎样的一个人呢?比较神奇的是,我当年离开这里的时候把自行车就停在旁边的停车场没有带走,没想到这么久过去了它还在这里,只是倒地不起了而已。我一开始看到的时候还有点不敢相信,不过当我看到丢在旁边的那个蓝色的锁的时候,确信这辆自行车无疑就是我的了!
  原本还想沿路走到我以前经常骑着自行车去买东西的超市「エレナ」看看,再在里面买点什么东西,再听听那家超市里一直会播的原创音乐「象が飛んでいた」以及「生活良好ソング」。不过走到公交车站的时候刚好一辆开往佐世保駅的公交车来了,要知道在这种乡下地方等一辆公交车要满久的,所以我就选择不继续往前走了,或许几年过后我还会再回来走走的。

  

  我在广岛旅行期间去唱了卡拉OK,在关西旅行期间去看了一场电影,我在想长崎旅行期间是不是也要干点正常人旅行时不会干的奇葩事呢?说实话我看到佐世保的理发店标注的价格那么便宜,真的很想趁机在这里剪个清爽的发型回去,不过后来想想第二天要带着一个很挫的短发去看演唱会见朋友,还是默默地放弃了……佐世保便宜的不仅仅只有剪头发,还有看电影,准确地说是留学生可以享受1000日元的优惠价格,于是没有其他什么特别安排的这个晚上,在佐世保连看两场电影!
  「シネマボックス太陽」是佐世保唯一的一家电影院,以前在这里留学的时候,时不时地会过来看电影。我本来打算看完18点30分上映的《名侦探柯南》以后,看20点55分上映的《所罗门的伪证》的,结果前者的上映时间错看成上周的版本,最后不得不在这个空白的时间段里找一个没有太大兴趣的《龙珠Z》来看了,至于柯南君我们只能在东京再相见了……为了不给自己回头的余地,我一口气把这两场电影的票都买好了。有意思的是,其中一张把我的优惠打成了「US NAVY」,原来我是隐藏得很深的美国海军?(笑)
  《所罗门的伪证》的前篇是在东京看的,这次在佐世保看的是后篇。因为校园欺凌问题而引发的学生自杀事件,学生为了追寻真相而组成审判团举行了校内法庭。通过这一审判,真相被层层剥开,同时也让很多人得到了解脱。我觉得《所罗门的伪证》真的是一部好电影,非常推荐观看!女主角的演技很不错,男主角长得很清秀,每次画面给他脸部特写的时候都会觉得他的五官非常漂亮。之前有看到媒体介绍说,这部电影的小演员是在日本全国范围内招募,通过试镜选拔出来的,因此全部都是新人演员,即便如此看完上下篇以后感觉质量还挺不错的,很期待他们在其他剧中的表现!
  我看的第二场电影应该是当晚「シネマボックス太陽」上映的最后的一场电影了吧,而且我好像还是最后一个出来的客人,因为我一迈出电影院的大门,就看到工作人员出来把灯关掉,并且把铁门放下来了,这一关门的样子我也是头一次见到。白天跑了一整天佐世保,累到不行的我,晚上还能在那种幽暗的环境下不睡着地看完两场电影,我也是满佩服自己的。不管怎么说,这也让我在佐世保又重新找到了一个普通的小市民的感觉了。

  

  往返于佐世保市与长崎市之间的「シーサイドライナー」(Seaside Liner)是我最熟悉的电车之一,我坐得比较多的是佐世保到豪斯登堡的这段路程。待在长崎县的最后一天里,我乘坐它从佐世保市去了长崎市,此次旅行之前我一直都非常期待这一个半小时的路程。比较巧的是,我在佐世保駅又一次遇到了大谷さん,他刚好要跟我坐同一趟车去豪斯登堡上班,而我则是要一直坐到终点站。他在电车上一直在看一本教授在商务场合如何接听电话的书,真是一个勤奋的人。据他说,在豪斯登堡里的酒店干完三年以后,可能会选择转职,去福冈甚至是东京这样的更大的城市打拼。
  我喜欢「シーサイドライナー」所行驶的这段路线的一个很重要的原因就是,途中是沿着大村湾的海岸线前行的,所以透过车窗就能近距离地看到美丽的大海,而这次开往长崎市的路上,我也看到了略带朦胧的海天一色。

  

  长崎市是长崎县的县厅所在地,相当于我们所说的“省会”。这里比长崎县的第二大城市佐世保市繁华许多,但是对我来说并不是那么熟悉。印象中长崎宫日节的时候来过,长崎县外国人日语演讲比赛的时候来过,长崎灯会的时候来过,出岛网留学生特派员交流会的时候来过,似乎也就这仅有的四五次,每次来都有一种乡下人到城里游玩,或是上城里办事的感觉。
  我在长崎县留学期间就听说过九州新干线要延伸到长崎市的消息了,这次在長崎駅更是看到很多相关的宣传板。新鳥栖駅到武雄温泉駅活用既存的在来线,而武雄温泉駅到長崎駅则是完全新建的线路。九州新干线延伸到长崎市虽然没有经过佐世保,但是开通以后,在长崎县内的移动交通也会变得更加便利。期待下次来长崎的时候能坐上长崎新干线!虽然我觉得如果自己待在日本的话,在预计建成通车的2022年之前应该还会再来的……

  

  长崎市值得一去的地方也满多的,比如可以目睹长崎夜景的稻佐山,拥有一副军舰模样的端岛,日本闭关锁国期间唯一对外开放的出岛等等。另外长崎市作为世界上仅有的两座被原子弹袭击过的城市之一,在原子弹落下的浦上地区还有原爆资料馆、和平公园等具有纪念意义的景点。前面列举的这些地方,我在以前几次来长崎市的时候都陆续去过了,而这次来长崎市主要是为了看演唱会,想在新地中华街附近走走就够了,所以没有花时间把它们再详细地逛一遍的安排。
  可以说这次的长崎旅行期间天气一直都非常给力,从長崎駅坐路面电车到眼镜桥这边,顺利地在蓝天白云之下看到了它的眼镜形态!眼镜桥是架在长崎市中岛川上的一座二连,而且还是日本最早的一座石拱桥。在眼镜桥附近的提防上能找到许多心形的石块,据说一共有20块左右,我这次在眼镜桥边散步的时候也看到了一块,不过孤身一人看到这种东西,心情还是很微妙的……

  

  长崎新地中华街是我此次来长崎市的唯一指定访问地,至于为什么,看到下面或许答案就会揭晓了。4月初关西旅行期间去过了位于神户的南京町,至此日本的三大中华街我都到访过了,长崎新地中华街应该是里面最小的一个,但是每年中国的农历春节期间举办的活动却是规模最大的。长崎新地中华街虽然挺小的,不过我个人觉得外观还是满有特色的,而且这个中华街的建成与我的故乡福建福州有一定的联系,现在居住在长崎的福建人也有很多,这附近的唐人屋敷里面还有一座福建会馆呢。

  

  来到长崎,不吃ちゃんぽん怎么说得过去!没错,我指定要来长崎新地中华街就是为了吃地道的ちゃんぽん的!其实发祥于长崎的ちゃんぽん也是以我们福建省的闽菜为基础的,这个料理的名称据说也是来源于福建方言的“吃饭”或是“掺混”的发音,而ちゃんぽん的材料、外观与制作方法都跟福清市的“焖面”非常接近。虽说ちゃんぽん的鼻祖是在四海楼,不过我这次是随便在中华街里找了一家中华菜馆江山楼吃的。这一加入了猪肉、贝类、鱼类、蔬菜的大杂烩面食,每次吃都觉得味道特别咸,要喝掉非常多冰水,但是不得不说ちゃんぽん的味道真的是好极了!话说这家店把「ちゃんぽん」写成「湯麺」,「上ちゃんぽん」写成「什景湯麺」,搞得我点菜的时候看着那些汉字都不知道该怎么念……
  除了ちゃんぽん之外,还有一个来到长崎一定要品尝的的料理那就是角煮。所谓的「角煮」其实可以说是杭州的东坡肉在日本的一个变种。我虽然没有真正意义上吃过角煮,但是它的包子形态角煮まん倒是吃过几次,这次过来当然也不例外!一个包子中间夹着一块超大的肉质柔软、脂肪爆棚的五花肉,实在是比普通的肉包子好吃一百倍,不过价格相对也比较贵。角煮也是长崎的日式中国宴席菜「卓袱料理」的代表之一,不知道下次来长崎的时候能不能有机会吃到这听上去高大上的卓袱料理?

  

  吃饱喝足以后终于要开始干正事,前往长崎公演的会场長崎ブリックホール了!此次ファンキー加藤的全国巡演我已经去过好几场了,每一场与我一起参战的人不同,开演前在会场见到的人、遇到的事也不一样,开演后座位的角度也不尽相同,所以感觉每一场的感受都是有所差异的。福冈公演是我参战的第一场,一切对我来说都是新鲜的,给我预留的惊喜也就比较多。大宫公演初日不仅没有见到任何一位熟人,还只身一人排了两个多小时队买周边,大概是最孤单的一次参战了。而大阪公演两日比较难得地跟两位中国朋友一起参战,所以还是感到非常开心的。
  可能有人会很不解,同样内容的演唱会看那么多次有什么意义。事实上包括前面所说的每次演唱会都会有不同的体验,再加上演唱会能将平时可能不会经常见面的朋友们聚在一起,这或许就是意义所在。一抵达长崎公演的会场,就听到有人喊「かっきーさん」跟我打招呼,在这里见到了很多熟悉的面孔,还有幸认识了几位新的朋友,这或许是我在其他会场上经历不到的事情。我真的很庆幸自己在长崎留学一年的期间里能够通过FUNKY MONKEY BABYS认识到这么多長崎BABYS,我在这次有这么多场的全国巡演中来到了长崎这一场绝对是最正确的选择,长崎公演也一定会是我过得最愉快的一场演唱会了。

  

  在长崎公演的会场,我又见到了去年9月跟我一起参战「I LIVE YOU 2015 in 日本武道館」的りなさん。记得我第一次参加長崎BABYS的线下聚会的时候,就是在諫早駅附近坐她开的车跟其他人会合的。也多亏了她转让了一张票给我,才让我去年刚到日本,就能在一个相当不错的位置看到ファンキー加藤的首次个人演唱会。ファンキー加藤难得在长崎当地举办一次演唱会,这次りなさん的妈妈也一起来看演唱会了,我还跟她小聊了一会儿。听说FUNKY MONKEY BABYS四年半前来到长崎市公会堂举办演唱会的时候,她们还称不上是歌迷,当时抱着满去看看的心理,结果全家人都通过那次演唱会成了真正的BABYS!其实这点跟我的经历也有点像,我也是2013年初机缘巧合看了一场FUNKY MONKEY BABYS的演唱会,才开始变得大爱这个组合的!
  坐在長崎ブリックホール大厅里面的沙发上跟りなさん他们聊天的时候,发现旁边坐着的一位男生总觉得在哪里见过,但又的的确确不认识……后来大家介绍以后,我才知道原来他是キットさん的弟弟,被这么一说让我感觉他们真的长得非常像!我们互加Twitter以后知道了他叫ゆーたろーさん,我比较好奇的是为什么他明明不是长男却名叫「太郎」啊?结果他跟我说他经常被人这么问……(笑)然后终于轮到下班以后赶到会场的哥哥登场了,对比了一下确实长得挺像的嘛!(笑)我之前去的那次线下聚会キットさん因为有事没去,不过后来有在其他演唱会的会场上见过几次面,只是好像因为我不知道该说什么好都没跟他讲过几句话……不过这次聊了几句感觉其实大家人都挺好的。话说我这才知道他叫这个名字是因为本名叫做「かいと」,怪盗基德的梗……
  人气十足的ゆーきさん在长崎的另一个地方看完长崎对大分的足球赛,然后才匆匆忙忙地赶到长崎公演的会场来。穿着球服的他一来就被大家围攻说衣服不对,不过事实上同样都是蓝色的衣服,跟ファンキー号CREW的那件T恤还满相像的。(笑)ゆーきさん应该算是我在長崎BABYS中最熟悉的一个人了,而且印象中我最早好像也是先在Twitter上认识到他,然后才加进LINE上面的群组,认识到更多長崎BABYS的。我第一次到日本留学时,待在九州的最后一天刚好在福冈,当时在福冈上大学的ゆーきさん还特地在打工前跑来见了我一面,给了我一个「長崎ムッツリBABYS」的红色护腕,一起举着「ありがとう」的毛巾合了影。7月4日的东京公演我预留了一张票给他,希望他到时候工作上能抽得出时间,一起去看此次全国巡演的最后一场!
  其实那天我到会场还在瞎转悠的时候,最先喊住我的是ちなつさん,但是我却一时间叫不出她的名字,真的感觉好失礼……只要是之前那次线下聚会,以及东京巨蛋演唱会时见过面的長崎BABYS,我基本上都记得。只不过有一部分人因为我们之间没有什么印象深刻的“事件”,所以会出现只记得长相、名字却对应不上的尴尬情况……我发现大家平时在网上使用的名字其实大多都是自己的真名,只不过是用平假名写出来罢了,而他们称呼我的「かっきー」也是从我名字的日语读音演变过来的。我一定会努力记住大家的名字,下次见面的时候绝对不会再出现叫不出名字这种失礼的事情了!
  有一位叫做「こんにゃく」的BABYS&CREW策划了一个企划,在全部的44个公演的会场上收集来看演唱会的人的签名,并且会在上面附上事后收集到的当天会场上大家的各种照片,全部整理完毕之后会在此次全国巡演的最后一天作为礼物交送到ファンキー加藤手中。其实这个企划我很早就在Twitter上看到了,但是之前我参战的几次公演都没找到负责人在哪里,所以都没能签上自己的名字。长崎公演的负责人是長崎BABYS的みなみさん,我才刚到会场就被叫住签上名字了,于是我终于在长崎公演上第一次签上了!我注意到签名本从大分公演开始已经启用第二本了,这也意味着全国巡演突入后半程,我翻了翻后面还有二十页仅写有地名的空白页,希望之后我能在自己参战的那几页里留下自己的名字。除此之外,長崎BABYS还准备了一个有爱的横幅,上面写着「4年半ぶりの長崎 おかえりなさい」,大家一起拍了一张纪念合影!

  

  大部分我认识的長崎BABYS的门票都是在FC会员限定最速先行中当选的,所以他们的位置基本上都非常靠前,えりさん更是在最前排的正中间!我虽然是二次先行的时候当选的门票,还是被分配到了1階I列28番、29番,是目前参战的几次最靠前的座位了。到了真正入场找到了自己的座位以后,才知道第10排原来这么近,感觉舞台根本就在我的面前!而且视角正对舞台中央,不抬头不低头向前看就是ファンキー加藤,完全可以非常清晰地看清楚他的脸,真的是一个绝佳的位置!点亮カトライト,往下的两个半小时就是「最幸」的演唱会时间了。
  ファンキー加藤的全国巡演中,每一场都有安排「ご当地トーク」,在长崎公演上提及了稲佐山的夜景、福山雅治,再来就是カステラ了。功课做得不充分的ファンキー加藤说稻佐山上看到的长崎夜景是日本三大夜景,结果台下的当地人听不下去了,大喊是世界三大夜景才对!カステラ居然还被ファンキー加藤带到舞台上来吃了,而且还在演唱完所有歌曲,整场公演最后的时刻,当着大家的面把最后一块吃掉了,说在这种时候吃甜食的感觉真好。说起カステラ,这次我就是买了文明堂的カステラ巻带回东京当お土産的,这玩意是真的不便宜,我自己本身也没有吃过几次,但是味道确实棒极了!
  或许ファンキー加藤还不知道,在长崎这边安可的时候往往喊的不是「アンコール」,而是根据長崎くんち的习惯喊「もってこい」来要求返场,我作为在长崎待过一年的留学生还是知道这一点的。在安可的时候,我就听到近的远的都有人在这么喊,我自己也趁机大喊了一次「もってこーい!もってこい!」,那种感觉真叫一个爽啊!有意思的是,在给ファンキー加藤加油鼓劲的时候,除了「がんばれ」以外,我还听到了有人用长崎方言喊「がんばらんば」,简直长崎味十足!「Fly」的时候我很起劲地拍到了好几次气球,「終わらない未来」的时候我也拿到了足足11条的金テープ。或许是与那么多认识的人在同一个空间里的缘故,长崎公演整场我都非常沉浸其中,然而「最幸」的时光总是那么短暂,ファンキー加藤跟大家约定好一定还会再来长崎,而且不会再像这次一样让大家等这么久!
   长崎公演结束以后,ファンキー加藤在Twitter上发布了演唱会时的照片,我第一眼就清楚地找到了我自己,这是此次参战了那么多场以来的头一次,说不定也会成为这次全国巡演中的最后一次。不管怎么说,从东京远征到长崎参战这场演唱会,我收获到的东西实在是太多了。

  

  长崎公演结束以后,从会场出来刚好看到了不远处「帆船まつり」的烟火。我到浦上駅乘坐21点34分的电车前往肥後大津駅,准备第二天一大早就从熊本空港飞回东京。先是坐特急かもめ50号到新鳥栖駅,然后换乘新幹線つばめ357号前往熊本,最后再坐豊肥本線的普通列车去往肥後大津駅。当晚的这个漫长的移动全程233.2公里,耗时三个小时,虽然离开长崎越远数量一直在减少,但是直到最后的电车都都有其他BABYS&CREW在与我同行。
  凌晨0点41分抵达肥後大津駅的时候,也就意味着这张陪伴了我三天的「JRKYUSHU留学生パス北部九州版」完成了它的使命。过去在长崎县留学的时候利用它旅行过两次,包括新干线在内的所有电车都能坐,真的是对于留学生来说的一天大福利。时隔一年多我回到长崎旅行再次利用它的时候,除了因为日本消费税增税而涨价200日元,其他的一点变化也没有,所以也是让我感到很是怀念。托它的福,这三天以来我只花了7200日元,就坐了原本应该花17890日元才坐得了的电车路程,完成了这么长的移动。

  

  「長崎大好きばい!必ずまた帰ってくるけん!」——即便我的长崎方言并不那么地道,我也想在离开长崎的时候说出这句话。
  中国是生我养我的地方,毋庸置疑是我的故乡。而长崎这片土地是我第一次离开中国,来到日本待过一年的地方,早已成为了我的第二故乡。这次来长崎观看ファンキー加藤的演唱会,同时也完成了我在佐世保的“归乡”之行,可谓是满满的回忆。感谢在长崎经历过的所有事情,相遇到的所有人,我会永远记住这一切,希望这片土地能保留住我的足迹,也希望在这里所结识的人也都能够记住有我这么一个人。总有一天我还会再回来的!

Vol.106 自分に影響を与えた音楽

 ファンキーモンキーベイビーズ(通称ファンモン)は、ファンキー加藤、モン吉、DJケミカルの三人が、2004年に結成した日本の男性音楽グループだ。このグループは私にとって、自分の好きな音楽を作ってくれた歌手だけでなく、自分に影響を与えた存在でもある。
 ファンモンの歌と出会ったのは、高校時代のことだったが、そのときはまだ日本語を習っておらず、ただ歌のメロディが好みで聴き始めただけだ。大学に入って日本語を勉強し始め、そのメロディにのせた歌詞の意味がだんだんわかるようになって、ファンモンのたくさんの応援ソングが伝えた思いに実に感動した。東日本大震災が発生した一週間後、ある音楽番組で涙を流しながら「あとひとつ」という歌を歌ったファンモンの姿がとても印象的で、「僕は信じてるから、君もあきらめないでいて」というフレーズがずっと頭の中に響き、この曲はきっと東北の被害者の方々に届いて希望の力になるだろうなと思った。そして、日本留学をきっかけに、私は初めてファンモンのライブに行くことができ、そのパワフルで情熱的なライブを通じて本格的なファンになった。
 なぜファンモンの音楽は私に影響を与えたと言えるかというと、ファンモンの歌を聴くと、自分は嫌な気分に陥っていても落ち込みの中から解放され、また元気になって前向きに生活を送るようになるからだ。
 「お袋の温かい手料理からコンビニの弁当
 狭い部屋の中で探した電子レンジのコンセント
 夢に見た生活もなし崩し 無計画さは親父譲り
 勢い任せの一人暮らしは寂しくて枕を濡らした
 きっと心配してんだろう 親泣かせの愚か者
 でも今俺にとって二人は優し過ぎるんだよコノ野郎
 だからまだ帰る気はない 踏み出したから耐えるしかない
 杉並区の六畳一間 西向きの窓に覗く遠い空」
 一つの例として挙げてみると、この「My Home」というファンモンの歌で語っているストーリーはまるで中国を遠く離れて日本に来た自分の生活を描いているようで、この曲を聴くたび、いつも「理想と現状が違うことがあるだろうけど、自分が選んだ道だから頑張るしかない。自分がどこにいても元気に生きて、そして立派な人になるということは最高の親孝行だ」と感じる。ファンモンの歌詞にはとても豊かな表現がないかもしれないが、誰もが経験したことのある些細なことで作り上げたシンプルな歌詞だからこそ、人々の共感を呼び、励ましとして受け入れられるのではないか。
 残念ながら、2013年6月2日、ファンモンは東京ドームで行われたライブをもって解散してしまった。その解散ライブに、私も行った。自分はその日にまだ日本にいて、みんなと一緒にファンモンの歌で最後の最後まで盛り上がることができて本当によかったと今はすごく思う。たとえ解散しても、音楽の力は消えることがなく、ファンモンの歌はこれからもきっと私、それから多くの人々を支えていくと信じたい。
 「時代を変えるような 後世に残るような
 そんな革命は起こせなくてもいい
 でも君の明日は 君が変えるんだ
 他の誰でもない そう自分だけの記念日を
 『どこから来たか』よりも『どこへ向かうのか』が
 きっと何よりも大事なんだ
 変わりゆく世界の中でも
 君にしかできないことがあるよ
 道なき道を 今 切り開いて
 君が笑顔の君に出会えるまで」
 ファンモンのリーダーであるファンキー加藤は現在、ソロ活動を始めている。この「CHANGE」というファンキー加藤の応援ソングは私の大好きな曲の一つで、このような歌を歌い続けるファンキー加藤の姿を見て、ファンモンの魂は今でも違う形で生きているような気がする。私にとって大切な音楽を胸に、今日も明日も前向きな人生を歩んでいく。